税理士事務所に1ヶ月住み込んだエンジニアの話|会計AIはこうして作られた

AIを導入したのに、結局手作業が残っていると感じることがあるだろう。 その原因はAIの精度が足りないからだ、と思いがちである。 しかし、実際には違うのかもしれない。

2026年8月23日、AI記帳サービス「Zeimee」を開発する佐次本脩真氏が、noteに一つの記録を公開した。 エンジニア2人が広島の税理士法人に1ヶ月間住み込み、会計AIを作ったという内容である。 顧問先が2,000件を超える規模の事務所に対し、徒歩5分のホテルから毎日通い、朝から晩まで隣の席で開発を続けた。

そこから見えてきたのは、AIの読み取り精度という技術的な壁ではない。 引き出した正解をどこに置くかという、業務設計の核心だった。

100行あったら100回エンターを押す

その事務所は、エンジニアが到着する前からすでにAIを使っていた。 職員が手書きの日計表を生成AIに読ませて、会計ソフトへの入力に活用していたのである。 誰かに教わったわけではなく、現場の工夫としてたどり着いたものだった。

ところが、その先で作業が詰まっていた。 AIは日計表を読み、日付も金額も勘定科目の見当までつけている。 しかし、その結果を会計ソフトに一括で流し込む道がなかった。 職員は画面を見ながら、1行ずつエンターを押して取り込んでいた。 100行あれば100回である。

プロンプトで一括取込用のファイルを作らせればいい、と思うかもしれない。 しかし、記事によればそれは不可能だった。 理由は2つある。 1つは、顧問先ごとに勘定科目の番号の振り方など、専用のルールが細かく設定されていることだ。 それを毎回チャットに貼り付けるのは現実的ではない。

もう1つは、間違いが混ざったときの修正コストである。 AIが出した100行のうち1行でも金額が違っていた場合、一括で取り込んでしまうと、後からその1行を探す作業のほうがはるかに重くなる。 1行ずつ確認しながら入れるほうが、実は理にかなった運用だった。 手作業のままになっている工程には、たいてい理由がある。

だが、この合理的な工夫は、その職員個人の画面の中にしか存在しない。 同じ日計表を別の担当者が受け取れば、またゼロから自分の聞き方で始めることになる。 結果は聞き方次第で変わり、その職員が休めば業務ごと止まる。 効率化しているつもりで、代替不可能な人を作ってしまう。 これはバックオフィス全般に共通する罠である。

AIに渡せなかった2つの作業

税理士事務所に1ヶ月住み込んだエンジニアの話|会計AIはこうして作られたの解説スライド

1ヶ月かけて工程に線を引き続けた結果、記帳まわりでAIに渡せなかった作業は2つだけだったという。

1つ目は、紙の証憑の電子化である。 物理的な紙はどうにもならないため、誰かがスキャンするしかない。 しかも、郵送で届くのか持参されるのか、誰がスキャンして原本をどう保管するのかは、事務所ごとに異なる。 そこが決まらないと、電子化した後の工程が設計できない。

2つ目は、人間による最終チェックである。 ある銀行の取引履歴PDFでは、AIの読み取りエラーが最初は33件あった。 作り込んで1件までは減らせたが、どうしても0件にはならなかった。 最後の1件は人が見るしかなく、税務の責任を人が負う以上、ここは残るべき工程となる。

逆に言えば、この2つ以外はすべてAIに渡せる。 ただし、それには条件がある。 やっていることを、全部聞き出せていれば、である。

暗黙知は隣で聞かないと出てこない

ある信用金庫の取引履歴PDFに、金額の欄に数字ではないものがぎっしり詰まった行があった。 AIには、これをどう処理すればいいか判断できない。 無視していいのか、重要な情報なのか、手掛かりがないからだ。

隣で作業する職員に聞くと、答えは一言だった。 入出金の動きではないため、無視して構わないという。 その帳票のその行をどう扱うかの正解は、業務をやっている人の頭の中にしかない。 しかも本人は、聞かれるまでそれが知識だとも思っていない。

業務の棚卸しで最も苦労するのはここである。 会議室で「何か困っていることはありますか」と尋ねても、すでにはっきりと自覚されている課題しか出てこない。 オンラインミーティングでは、こちらが質問を思いつけないことは議題に上がらない。 隣で作業を見て、「なぜ今そうしたのか」を問い続けることでしか、暗黙知は引き出せないのである。

置き家具と造作家具

税理士事務所に1ヶ月住み込んだエンジニアの話|会計AIはこうして作られたの解説スライド

正解を引き出すこと自体は、隣で聞けば解決する。 難しいのは、引き出した正解をどこに置くかである。

さっきの「無視して構わない」というルールを、プロンプトに書き足して終わりにするとどうなるか。 その知識は、個人のチャット履歴の中に消えてしまう。 次に同じ帳票を見た別の担当者は、またゼロから聞き直すことになる。

そこで開発チームは、引き出した正解をツールと製品の仕様として置くようにした。 担当者が仕訳候補を直すと、その修正が顧問先ごとの辞書として残る。 翌月から同じ明細は辞書で自動判定され、担当者の仕事は「どう聞くか」ではなく「承認するか、直すか」に変わる。

記事では、これを家具に例えている。 個人のAI活用は**置き家具**であり、その人の持ち物だから退職と一緒に出ていってしまう。 一方、業務に組み込まれたAIは**造作家具**であり、建物に作り付けだから人が入れ替わっても残る。

全員にライセンスを配り、活用率を数えるだけの「全社AI活用」は、置き家具を増やしているだけかもしれない。 個人のAI活用がうまい組織と、業務にAIが組み込まれた組織は、外からは区別がつかない。 どちらも活用率のグラフは右肩上がりになる。 違いが表に出るのは、うまい人が異動したり辞めたりしたときである。

BPO事業者としての反省

この構造は、他社の業務を請け負う**BPO**(ビジネスプロセスアウトソーシング)事業者にとっても他人事ではない。

顧客の業務に入り込み、隣で聞いて暗黙知を引き出し、仕事を回す。 担当者が慣れるにつれて、暗黙知が溜まっていく。 しかし、その溜まった場所が「担当者の頭の中」であれば、それはBPO事業者側での属人化にすぎない。 担当者が変わった瞬間に、業務の品質は落ちる。

BPO事業者にとっての造作家具は、手順書と判断の辞書である。 「この取引先のこの明細はこう処理する」というルールを、担当者の記憶ではなく、誰もが参照できる形に置く。 引き出した正解の置き場所を作らなければならない。

辞書が溜まると、担当者を替えられるようになるだけでなく、その工程をAIに渡せるようになる。 AIを入れてから業務を整理するのではない。 言葉にして置き場所を作り、そこからAIに渡す。 この順序を間違えると、業務は動かない。

会計事務所の業務フローは、顧問先の都合に合わせて細かく分岐している。 標準化を強要することは、顧客対応を削ることを意味し、現実的ではない。 だからこそ、業務をソフトに合わせるのではなく、AIとソフトの側を業務に合わせて作り替える必要がある。 AIによって開発速度が上がり、それが現実的なコストでできるようになったことが、最大の転換点である。

まとめ

この記事からの持ち帰りは以下の3点である。

  • **詰まっていたのはAIの精度ではない**:AIは帳票を読めていたが、その結果を業務ソフトへ運ぶ道がなかった。一括取込ができない理由は、顧問先ごとの個別ルールと、修正時の手間の大きさにある。
  • **AIに渡せない作業は2つだけ**:紙の電子化と、人による最終チェックは残る。それ以外はAIに渡せるが、そのためには実務者の頭の中にある暗黙知をすべて引き出す必要がある。
  • **引き出した正解を辞書に置く**:個人のプロンプトに頼るAI活用は、人が辞めれば消える置き家具である。正解を手順書や辞書という造作家具に置き換え、そこからAIに渡す順序を守らなければならない。

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